気分を上げる変化とは?

日記

今日は曇で陰るなか、朝散歩。

昨日は壁に張りつくカナブンを、今日はスズメにつつかれるカナブンを見た。ちなみに、歩いている途中には、半壊しているカナブンを見た。同じくスズメの仕業だろう。

「ナ」に強いアクセントをおいて、語尾を上げて発音する「カナブン派」と、「ナ」にアクセントがあるのだが、語尾を下げて発音する「カナブン派」がいると思う。私は、ベタベタの関西人なので後者だ。正直どうでもいい。

カナブンの発音の仕方で、おおまかな出身地を読み取ろうとするのは私くらいだろう。とはいえ、かなり精度の低い読み取り方なので、他の情報も集めて、累積した事実から最終的に読み取るのが正しいとは思う。

というより、カナブンが話題に上っている時点で、かなり話が弾んでいるはずなので、方言が出ていたりプライベートな質問は終わっているだろう。

なんて、バカなことを考えながら、今日も朝散歩を楽しんだ。

カナブンから目を離せば、今年初のセミの抜け殻を見つけた。すこし気分が上がった。普段は撮らないが、かわいいネコを写真に収めることができた。すこし気分が上がった。いつも見ないのだが、原っぱにたくさんの鳥たちが降りてきていた。すこし気分が上がった。

こうした、微妙な感情の変化に目をやると、いつもと違うことに気分が上がるのだと気づくことができる。

大阪から福岡に越してくるときのメンタルの状態は「下の上」だったが、福岡に越してきてスグに「中の下」に上がったのを思い出す。大きな環境の変化が楽しかったのだ。そして、今は「上の下」を維持している。少しでもいいことがあると「上の上」になる。

なんとも、いい日々を過ごしている。

1つの小さな気づきが派生して、今の大きな幸せに気づく。これが朝散歩の醍醐味だなと、そう思った今日。またベンチで読書に耽る。

読書を始めると、ちょうどドーパミンの章だった。「ちょうど」と言ったのは、いつもと違うことに喜びを感じると言ったことに関係している。この章には『脳には新しいことだけに反応してドーパミンを産生する細胞がある』と記載されている。

いつもと違うこととは、つまり、新しいことだ。

なるほど。そういう仕組みか。と納得すると同時にセレンディピティを感じる。偶然の気づきや学びを得られるのが読書だ。またなんとも言えない快感が脳を襲う。より一層いい日になった。

この朝散歩と森林浴。さらには読書という時間を大切にしていきたい。