愛とは?

「愛」を脳科学的に捉えるなら

「オキシトシンが〜」

というふうに賢い学者さんは答えるのでしょうか?

「好き」なら

「ドーパミンが〜」となるのでしょうか?

私は脳内物質に関して詳しいわけではないので
個人的な価値観の話をすると

愛とは「距離感」だと思っています。

それは、心理的距離であり物理的距離であり
その距離の「心地よさ」が「愛」なのではないか?
と考えています。

例えば、遠距離恋愛を例にとってみると
分かりやすいかもしれません。

月に1回しか会えないカップル。

お互いの環境を考えるとそれが現実的だったとします。
つまり「会いたい」と思っても「会えない距離」であり
環境が感情を優先させることを拒む状況です。

これなら、月に1回しか会えないことを納得できるかもしれません。
それが「互いの距離の心地よさ」であり「愛」であると思います。

しかし、これが遠距離でない場合はどうでしょう?

会える距離にいるのに月1回しか会えない。
でも、本来はもっと会いたい。

大好きな相手に対して、会える距離にいるのに会えないと思うと
突如として「強烈な寂しさ」に襲われてしまいます。

それは行動を起こせば、埋められる距離を
適当な理由で拒まれてしまうと
途端に距離に違和感を覚えて「心地よさ」が損なわれてしまいます。

遠距離だと、距離を「愛」が埋めてくれましたが
そうでない場合は「心地よさ(愛)」がなくなり
距離が埋まらないので「好き」が暴走してしまう傾向があると思います。

という考え方から

「物理的な距離」と「心理的な距離」
その距離の心地よさこそが「愛」であると思っています。

もちろん、上記したのは一例にすぎず
人それぞれ「心地のよい距離感」は違います。

私はどちらかと言えば「好き」よりも「愛してる」が多い人間です。

一過性の激情として「大好きだ〜!」という感覚よりは
長期的に満たされるものである「愛している」という感覚を大切にしていて
物に対しても、人に対しても「愛」を感じることの方が多いです。

「愛」という曖昧な感情を言語にするほど論理的思考の強い私ですが
ここだけは感情的すなわち直感的な思考を大切にしています。

なので「心地よさ」だけは数値化しないようにしています。
それは、そもそも自分が数字に心地よさを感じないからでしょう。

どちらかというと文字や文章が心の拠り所であり
マジックなどの芸術に触れることで心が満たされるからでしょう。

そういった抽象的なものをぼんやりと眺めるだけというのも
距離の心地よさを保つのに大切だと感じています。

結論に至らない曖昧な感じになっていますが
それが私の「愛」であり「心地よさ」なのだと思います。

追伸:愛は「心地のよい距離」という結論から無理くり書いてみましたが意外にしっくりきました。これは「Think Smart」によれば「NIH症候群」と言うらしいですね。自分のアイデアはついつい愛でたくなるものです(笑)