関西人は「口数が多い」ですよね。
よく他府県の人が、関西人同士の会話を聞いて「カルチャーショックを受けた」と言います。では、なぜ、関西人はそれほどの会話力があるのでしょうか?
それは、日常会話で練習しているからです。
いわゆる「普通に話す」の基準が高いのが大阪です。なので、日常会話から「意見を言う練習」をたくさんしているのです。それだけアウトプットをしているので、自然と自分の意見を言えるようになるのですね。
ただし、多くの場合「知らんけど」のオマケつきです(笑)
他府県の人からすると、「知らんけど」は投げやりで、突き放された感じがするようです。しかし、そういう意味では使われていません。
基本的に「持論」を展開したあと、角が立たないように「本当のところは正しいのかわからないけどね」と中和するような意味合いで使われています。口ぐせになっている人も多いので、とくに深い意味はないのも「知らんけど」の特徴です。
商人の街「大阪」では「とりあえずやってみる」という精神が、ビジネスに欠かせなかったという背景があるためではないかと考えます。ひとまずハッタリをかましておいて、あとで帳尻を合わせる。そういった商人気質の現れではないかと、私は考えています。
さて、関西人は「手数」が多い分「失言」も多いです。
しかし、この失言があるからこそ、コミュニケーションがうまいのだと考えられます。失言をするとは、つまり「相手の価値観」を知ることです。そうして、価値観をすり合わせて、お互いに微調整してしていくことで、関係性が深まるわけですね。
何も言わなれば「無難」ですが、関係性が深まることもありません。「雨降って地固まる」というように「難」があるから関係性が深まって「有り難い」関係が生まれるのでしょう。
ちなみに、私が関西人を好きな理由は、忌憚なく話せるからです。
「笑い」という文化があるから「かっこワルい失敗」も「ダメな人間性」も、世間体を気にせず話せます。「商人の町」ですから「お金の話」も大好きです。「自分、家賃いくらのとこ住んでんの?」って、普通は聞きませんよね(笑)
たくさん話して練習する。失敗を恐れない精神。自己開示の基準が高い。そういった大阪の風習が、関西人のアウトプット力の高さを生み出しているのだなと思います。