バンクシー展 天才か反逆か [感想]

日記

大阪 ATC Gallery で開催されている
バンクシー展へアート鑑賞に行ってきました。

私は昨年からアートに触れることを趣味の1つとして
展覧会へ行くようになりました。

その理由の1つは、情報化社会において情報に流されずに
「自分の感覚」を大切にする時間を持つことです。

そして、論理的な脳ばかり使って疲れた心を
感情的な脳を使うことで癒やすことも目的です。

ということで、今回のバンクシー展で
直感的に感じたメッセージについて少し語りたいと思います。
そのメッセージとは…

「この世のすべてはキャンバスだ!」
「他人の基準に合わせるな!」
「もっと遊べ!」

ということです。特に「遊び」というものへの主張を強く感じました。

バンクシーの作品には社会風刺も多く
作品を見る人は「この作品は何を訴えかけているんだろう?」と
深く考察し、作品について解説を述べたりします。

しかし、彼の多くの作品にそんな深いものはないのではないかと私は感じました。

というのも「勧善懲悪」という手垢のついたテーマに対して
問題提起するかのような作品も極めて軽いノリで書いていて
彼自身は、ただ遊んでいるだけなのではないかと感じるのです。

例えば、自分の作品に秘密裏にシュレッダーを仕込み
オークションにかけられた時に、落札された瞬間、切り刻めるようにしておくなんていうのは
まさにそういう「子供のようなイタズラ心」が大きな要因ではないかと感じるのです。

単純に自分が面白いと感じることを優先している幼稚な姿勢が伺えるのです。

しかし、それが現代においては
自身で物事を精査せず、ただ目の前の情報に飛びつくだけの大衆に
一石を投じる形になっているのではないかと思うのです。

マーケティングや広告に対する風刺もありますが
そういったものも他人の基準に合わせてばかりで目の前にある大切なものを見失い
今を楽しむことを忘れた大衆をただあざ笑っているだけではないかと思います。

アートを見に行っているのに
隣の解説文ばかりに目を通している人たちを
あざ笑っているのです。

そうして、他人の基準にばかり合わせているうちに
いつしか自分たちをがんじがらめにする規制に縛られるようになり
遊びに対して能動性を失ってしまっている人が多いのも事実ですよね。

「もっと自由になって一緒に遊ぼうよ」

そんな感情が彼の作品には見え隠れしているように感じるのです。

遊びを忘れてしまった大人に寂しさを覚え遊び相手の少なくなった現代で
不器用な彼なりの友達づくりのアプローチがアートなのではないかと思います。

資本主義の世の中でお金に惑わされたり
政治や法律、宗教に流されて自分の大切な遊び心を忘れていませんか?
あなたの本当に好きなことはなんですか?

今この瞬間を楽しむことができていますか?

という彼の問いに私は全力で挑もうと思って
自分の最大の娯楽である文章という形で、それを表現しているのです。

私は誰に頼まれたわけでもないのに
バンクシーについて書いて彼のメッセージを勝手に察して
自分なりに解釈して文章にするというおバカを盛大にやってのけたのです。

いやあ〜!楽しい!

正直に言えば、バンクシー展に行くまでは
こんなに心が軽くなるとは思ってもいませんでしたが
アートにただ触れるだけで羽が生えたように心が軽くなっていくのを感じて
これからは、もっともっと自由に遊びたいと思うことができました。

私のようにアートに詳しくない人でもバンクシー展は楽しみやすいと思いますので
ぜひ、近畿圏にお住まいの方は今のうちに行ってみてくださいね!

バンクシー展 天才か反逆か(大阪)