コロナ禍で人と会うために考えておきたい5つのこと

日記

いまさらですが、コロナ禍で人と会う場合の注意点について書きたいと思います。コミュニケーションについて考える、よい機会にしていただければと思います。

まず問題となるのが「感染の不安」です。

わたし個人の意見としては、その不安を持っているのであれば「会う約束をしてはいけない」と思っています。というのも、不安を感じながら会ったところで、その場をよいものにできないと思うからです。それは仕事の打ち合わせであっても、友人同士の食事でも同じだと思います。

【不安を持っているのであれば会わないほうがよい】

と言いましたが、これはとても極端な話だとも思っています。なぜなら、誰であっても少なからず感染のリスクは抱えており、不安もあってしかるべきだからです。

ですので、言い換えますと【不安を払拭できないなら会わないほうがよい】になります。

ここで次の問題が「不安の払拭」になります。

ハッキリ言って「不安の払拭なんてできるはずがない」というのが、わたしの結論です。それは、コロナを別のものに置き換えると分かりやすいと思います。例えば、交通事故に巻き込まれるという不安って、絶対少なからずあるはずなんですよね。外を出歩くかぎりゼロにはできないじゃないですか? それと同じでコロナもワクチンを打ったとしても、集団免疫ができたとしても、不安を取り除くことはできないですよね。なので、もう棚に上げておくしかないんですよね。交通事故のリスクと同様に。

ですが、ここで間違った行動に出る人がいますよね。

ここがわたしの実体験になるのですが、会う直前になって、こう質問されたわけです。「人ゴミ出歩いてないよね?」「感染者と関わりないよね?」と。

ここで違和感を感じた人は正解だと思います。その違和感と向き合って、答えを導きたしたほうがよいと思います。わたし質問された瞬間にたくさんの思考が一気に駆け巡ったので、とにかく全て文字に書き出しました。

まず、質問の違和感その①は「自分のことは棚に上げている」になります。そして、その②は「信用していませんよアピール」にあります。その③は「日常行動への干渉」です。その④は「認識の擦り合せ」について。最後に、その⑤は「嘘を付く可能性がある」となります。

その①から考えていきましょう。

「相手に名前をたずねる時は、自分から名乗る」というように、知りたいことがあれば自分から自己開示するのが礼儀になります。それをいきなり不躾に相手に質問してしまうのはよくありません。もし、「人ゴミ出歩いてないよね?」「感染者と関わりないよね?」と聞くのであれば「わたしはコロナ禍では人ゴミには行ってないし、まわりにも感染者は出てないんですけど、どうですか?」だと思います。それであるなら、まだマシだと思います。

マシと言ったのはベターな聞き方があるからです。

会う直前になって聞くのではなく、コロナ禍においては世間話の一環で「それとなく相手の状況を探る方法」があるのです。それは、会話の冒頭で「コロナ大変ですよね。まわりの人が感染したりしていませんか?」と聞く、そして相手の体調を気遣うように「最近、体調いかがですか?」と聞いておく。こうすれば、相手に礼儀を守って、お互いの状況を把握することができます。

では、その②についてです。ここでは質問の仕方を考えたほうがいいんじゃないですか? という話です。どういうことかというと、「人ゴミ出歩いてないよね?」「感染者と関わりないよね?」だと相手の行動を疑るようなかたちになってしまって、その質問を受けた側がとても不快感を感じるということです。しかも、会う約束までして、翌日に会うタイミングで、そう聞かれたとしたら「あれ?会うたくないのか?コロナを理由に断る気なのか?」という印象を受けて、わざわざ連絡を取り合ってスケジュールを擦り合わせた時間がもったいなく感じます。

なので、上記したように「コロナ大変ですよね。まわりの人が感染したりしていませんか?」と聞く、そして相手の体調を気遣うように「最近、体調いかがですか?」と聞く。しかも、会話の始めに聞いておく。あくまで自分自身がコロナによる不安を払拭したいのなら、そこまでしてしかるべきだと思います。

さて、その③について進めていきましょう。

これは言うまでもなく、相手の行動へ指摘するということは「行動を干渉すること」になります。しかも「赤の他人が」です。もはや、議論の余地はなく、していいはずがないし、礼儀もへったくれもありません。

長くなっておりますが、その④へ移りましょう。

コロナに関して「認識の擦り合わせ」をするのは、スゴく難しいと思っています。感染症への知識や医学方面の知識があるのかどうか、また現状を把握しているか、健康的な生活習慣を送っているか、など色々な問題が出てきます。それらをいちから擦り合わせるのは、難しいので今は最低限のマナーとして「マスク着用で三密を避ける」ということが行われているわけです。「お互い、そこは最善を尽くして会いましょうね」というのは、もはや暗黙の了解になっているのです。

正直、暗黙の了解というのは好きではないのですが、そこはビジネスをするにしろ交友関係を築くにしろ、信頼関係のうえで成り立つものだと思うのです。特にコロナ禍でのマナー遵守は大前提ですからね。そこをあえて質問するというのは、もはやナンセンスです。例えば「過去にマナー違反な人がいたから不安」という理由で疑ったのであれば、いま目の前の人に対しては失礼でしかないです。

さきほども言ったように、事前に相手の状況を探る方法はいくらでもあって、自分の不安を取り除くために、その方法を考えない事自体が怠慢だからです。

最後に、その⑤についてです。

もはや、コロナ禍において相手の状況を正確に把握しようとすることが間違いなのです。それは不可能です。まず会うことを優先するあまりに、密になるような場所に行っていることを隠して、嘘を付く可能性は絶対に拭い去れないですよね。これはわたしが嘘つきであるという意味ではなく、相手の意識から「嘘をついている可能性」を脱ぎ去ることはできないということです。それこそ信用するかどうかという問題になります。

もし「人ゴミ出歩いてないよね?」「感染者と関わりないよね?」と聞かれた時点で、わたしが「大丈夫ですよ!最善の注意を払っていますから安心してください」というのは完全に間違いであり、絶対に言ってはいけないということが分かりますでしょうか?

ここで「大丈夫ですよ。安心してください」というのは例えるなら「避妊具を使用せずに性交渉をしよう!安心して!大丈夫だから!」と言っているのと同じになるということが分かるでしょうか? なぜなら、外出したり会うということには、それなりのリスクがあり絶対的な保証ができるはずもないからです。

そんなこと口が裂けても言えないわけです。

コロナ禍において人と会うということはお互いの合意が必要となるわけです。どちらか一方に大きな不安を残すようなかたちでは会えないのです。

というわけで、以上がわたしの感じた違和感です。

コロナ禍において「暗黙の了解」がすでにできていることと、その対応策と真摯なコミュニケーションについて考えてみました。基本的にわたしは「そんな難しいこと考えず気楽に付き合っていこうぜ」というスタンスです。なので、最低限のマナーさえ守って、自身の健康管理をしっかりと行っていればよいと思っています。とはいえ、今回のように、相手への礼儀や配慮の欠けた行動については、「ん?」と違和感を感じたので、いま一度自分のコロナ禍での振る舞いについて考える意味でも意見をまとめた次第です。

何度も言いますが、基本的にわたしは難しいことは言わずに「穏やかに楽しく過ごしたい」が基本スタンスです(笑)