おかげさまで令和元年ベイビー誕生!!

日記

2019年9月20日(金)7時46分
第一子となる長男が「2966g」で産まれてきた。

夕方17時ごろに、実家にいる妻から電話が鳴り陣痛が始まったとのことで車を出して、お迎えに。正直「まあ、陣痛始まったとこやし、もう少しかかるやろ」と思いながら、本やらPCやらを持って出かけた。

15分ほどで妻の実家に到着した。

そしたら、電話越しでは「ちょっと、痛い…迎えにこれる?」程度だったはずの妻が立てないほどに痛がっており、すこし戸惑う。自分が焦っても仕方ないので、サポートしながらかかりつけの産婦人科まで車を急がせる。普段は、鈍足マイペースな運転なのですが、今回ばかりは少し急いだ。

産婦人科に到着してからはあっという間だった。
到着から2時間ほどで息子が産まれてきたからだ。

お産の体勢に入ってから、妻の表情と助産師さんの動きだけを観察した。声を聞くだけで苦悶の表情を浮かべる妻を見て、一切の口を閉じた。しかし、腰をさすったり、押したり、手を握ったり、呼吸を促したり、常になにかしていたので、時間が過ぎるのは早かった。

正直心の中では「え、もう出てくんの?早ない?」と思っていたし、助産師さんも「お、めっちゃ早いな」とバタバタと焦り気味だったけれど、あれよあれよと、頭が出てきて、顔が見えて、一瞬片目を開けた息子と目があって(目があったと思うしかなかった)、泣き出した息子と苦悶の表情を浮かべる妻をつなぐ臍帯を切り、我が子を抱いた。

妻は、産まれてきた我が子を見て、今まで見たこともないような困惑の表情を浮かべていた。人が本当に理解を超えたものに出会うとこんな表情をするのかと少しおかしくも思った。

しかし、そんな妻も数分の後に状況を飲み込めたのか、落ち着いたのか、大粒の涙を流して喜んだ。痛がる妻を見ても、たくさんの血を見ても、臍帯を切っても、胎盤を見ても、動じなかったわたしも少しウルっときた。もらい泣きしそうだった。

「泣かないというのは、日本男児の悪しき風習かもしれないな」と思ったり、思わなかったりしながら、我が息子を抱いた。あたたかかった。

正直(三度目の正直だ)、産まれてくるところを見ても、その途中に目があっても、抱き寄せて温かさを感じても、まだ自分の息子だと理解するには至っておらず、こうして文章を書くことで必死に理解しようと努力をしているところだ。

しかし、1つだけ感じたことがある。

誰もが産まれてきた息子を見て笑顔になるので、父親としては全ての心配や不安は消し飛んだ。誰からも愛される力さえ持ってれば、この世界は自由だと思っている。

だから、息子にはわがままに素直に好きなことができるように育ってほしい。もちろん、そのサポートも惜しむつもりはない。

さて、この記事の目的は将来の息子に読んでもらうためだ。

だからと言って、変にカッコつけたり、感動的なことを書くつもりもなく、ありのままの自分で筆を走らせている(指を行ったり来たりさせている)。

いよいよ、本題に入ろう。息子への手紙だ。

暫定的な名前「息子」へ

今日はじめて、お母さんのあんな表情を見た。あそこまで感情が大きく表れた顔を見たのは初めてだ。それは、俺にはできない芸当で、お前にしかできないことだ。俺は悔しいけれど、そういうもんだ。人は産まれた瞬間から「かけがいのない存在」だ。なんて、にわかに信じていなかった。けど、そう言われる理由を今日理解できたよ。そうしたら、なんだか「自分にしかできないこと」を探すのにやっきになっていた自分が馬鹿らしく思えて、すごく救われた。そんな風に俺を救えるのもお前しかいなかったのかもしれない。産まれてきてくれてありがとう。産まれた瞬間に親孝行を終えているので、あとはわがままに、好きなことに熱中して、真っ直ぐ生きていってほしい。

お父さんより

さてさて、人生初の体験を終えて、思ったよりも頭が疲れているようなので、この辺で終わりにしたいと思う。しかしながら、最後にひと言ふた言だけ。

ちょーぜつ安産。「初産とは思えない」と何度も先生に言われたほど、あっという間にお産を終えて、たくさんの人を笑顔にする大仕事を終えた妻に感謝と労いの言葉を送りたい。

お疲れ様。そして、ありがとう。

そして、出産前からサポートくださったみなさま、産後お祝いの言葉をくださったみなさま、たくさんのおめでとうに心が洗われる思いです。

本当にありがとうございます。

今後とも、息子も含めお世話になります。よろしくお願いします。