母をなくしたエルリック兄弟は、その寂しさから錬金術の禁忌を犯す。そうして、兄は片腕と片足を、弟は体を全てなくすことになる。なんとか一命を取りとめた兄と、魂だけで生き返ることになったエルリック兄弟は、自分たちの体を取り戻すために旅に出る。
それが、マンガ『鋼の錬金術師』です。
完結しているマンガのトップ3をあげるなら、絶対に選びます。それくらい大好きなマンガです。
その『鋼の錬金術師』の原画展『鋼の錬金術師展 RETURNS』に行ってきました。これがスゴくよかったのです。とにかく「やさしさ」と「あたたかさ」を感じました。本作自体、キャラクターの心理描写がスゴく繊細で、ストーリーも心にズシンとくるものではあるのですが、あらためて絵を観ると、そこに「ぬくもり」を感じるんですよね。
ああ、これか。『鋼の錬金術師』が好きな理由は。
と思いました。女性作家であるがゆえの母性を感じて、どこかその優しさに私は包まれていたのでしょう。
直近では、現在も連載中のマンガ『キングダム』の原画展にも行きましたが、そちらは対称的な印象だったので、なおのこと、そう思ったのかもしれません。
『キングダム』の原泰久先生の絵は、とにかく「迫力」があり「エネルギー」を感じる絵でした。この人は父性の塊のような人なんだろうな、と感じました。
さて、この展示会で印象的だったのは、観にきている人のほとんどが、ストーリーもキャラも覚えていないことでした。
おいおい、それはないだろ…。と思うレベルで「ああ、こんなシーンあったね」などと話すのです。男性客にいたっては「誰が強かったっけ?」などとキャラの戦闘力で優劣をつけ出す始末。
『鋼の錬金術師』の良さは、そんなところにはありません。前述しましたが、キャラクターそれぞれの心理描写の繊細さこそが、本作の真髄だと私は考えています。
その一例をあげますと、ヒロインであるウィンリィが、普段は「チビ」だとイジラれる主人公エドワードの背中を見て、「あれ…?こんな背中大きかったっけ…?」と感じるシーンがあります。
そこで描かれているエドワードの背中は、決して大きくないのです。なんでしたら「え、小さくない?」と感じるほどです。さらにいえば、物理的な大きさでいえば、隣りにいる弟のアルフォンスは、巨大な甲冑の姿をしていますから、エドワードの2倍ほども大きいのです。
それなのに、ウィンリィは「エドワードの背中」が大きく感じたのです。
普通なら、エドワードの背中を大きく描いたほうが、ウィンリィのセリフを簡単に表現できます。しかし、そうせず「心理的」に、ウィンリィが感じたことであることを強調するために、あえてそのように描いているのです。
そこまで細かな心情を絵で表現しているマンガを、私は他に知りません。とにかく、芸が細かいのです。そののちに、ウィンリィは「ずっと前から惚れてたのかもしれない」と物思いに耽るシーンが描かれます。
そうした段階を追って、変化していく心情がそれぞれのキャラクターにあるのです。そして、それはキャラクターの表情にもあらわれていることが、今回の原画展を通して強く感じられました。
しかし、テキトーにマンガを読んでいる人は、こうした繊細な心理描写に気づきもしないでしょう。
錬金術の原則である「等価交換」について。師匠から学んだ真理「一は全、全は一」について。はたまた本作のキーとなる「賢者の石」について。エルリック兄弟は、死んでもおかしくない経験を何度も乗り越えて、それらの答えを見つけます。
いつもエルリック兄弟は、出会う人々やたくさんの書籍と、本気で向き合ってインプットし、最善を尽くしてアウトプットしていくのです。だからこそ、自分たちが納得できる結末を迎えることができたのです。
そんな作品を読んでいるのに、感想が「おもしろかったね」「ああ、そんなシーンあったね」では、ものスゴくもったいないのです。
【本気でインプットをしない人は、大したアウトプットもできない】
そして、納得いく結果が得られることもありません。これが私が今回の原画展でみつけた「真理」です。
あらためて、最高の作品と出会えた幸せを体験しました。まだ読んだことがない人は、ぜひ手にとって、大いに感動し涙して、癒やされてください。ほんとうにオススメの作品です。
P.S.私と同じくらいの熱量で読み込んでいる人が少なすぎて、何時間も語り合える内容なのに、誰も語り合ってくれなくて寂しい思いをいつもしています(笑)
P.P.S.最後の戦いで見せるメイの表情の変化もピカイチです。本作中、何度も泣かされますが、これがなおのことトリガーになります。