『悪文 伝わる文章の作法』

書評

読む前のメモ

『悪文 伝わる文章の作法』を数ページ読み進めたところで、ふと浮かんだ疑問がある。【他人に伝わらないのだとしたら、その言葉は何のために使ったのだろうか。】今こうして、文章にしてみて気づいたのだが、短いながらも意外にいい文章だと思った。

せっかく『悪文 伝わる文章の作法』を読んでいるのだから、自分なりに分析してみたい。はじめに主語を置かないことで、あとから来る主語「その言葉」にインパクトを持たせられているように感じる。また、それに続く「何のために」も強調されているのではないだろうか。最終的には、読み手に答えを委ねているので、内省により多くの時間を使ってもらえるようになっている。

【他人に伝わらないのだとしたら、その言葉は何のために使ったのだろうか。】と私が疑問を感じたように、多くの人にとって、言葉は他人に伝わるように使いたいものだろう。

しかし、文章について学ぶ機会は、そう多くない。

なので、私は文章のルールを学び続けていて、読書によって表現を増やす努力をしている。それは、友人との「メッセージ」のやり取りでも意識している。「改行」「句読点」「カギ括弧」「分かち書き」を使って、文章を見やすく整えたりするほどなので、すこし異常なこだわりかもしれない。

とはいえ、それくらい意識して練習しなければ上達もない。

さて、この文章からもわかるように、「である調」を使うと、私の文章は堅くなりすぎるので、「堅すぎる文章」の章は最初に目を通そうと思う。『悪文 伝わる文章の作法』は、私の文章改善に大きく役立ちそうだ。