『レミニセンス』映画感想・ネタバレ含む

日記

近年、女性を称える映画が増えている。それは、男尊女卑が色濃く残る社会への問題提起だ。本作は、その色が強く出ており、男性であれば少し嫌悪感すら抱くのではないだろうかと思うほどだ。

『レミニセンス』の世界では、地球温暖化により海面上昇が起きて、世界が海に飲み込まれていっている。日中は生活できないほどの暑さで、人間は昼夜逆転した生活を強いられている。先の見えない未来に、多くの人間は、現在に生きることを諦め、素晴らしかった過去にしがみつくようになった。

そこで、記憶の世界に没入できるサービス「レミニセンス」が誕生し、誰もが記憶の世界に生きるようになった。

主人公はレミニセンスの提供者であるニックだ。彼は中毒性の高いレミニセンスを自分自身では1度も使用してこなかった。しかし、突然、恋人が失踪したことで、レミニセンスを使用してしまう。

彼女との幸せだった記憶をなぞることに依存し、いなくなった彼女を探すことに執着するようになる。そうして、物語の最後には自ら死を選んでしまう。

依存・執着・死、つまりニックは「弱さ」の象徴として、描かれている。

対称的な登場人物に、彼の仕事仲間であるワッツがいる。彼女は「強さ」の象徴として描かれている。ニックに対して「前進しなさい、執着してはいけない」と何度も叱りつけるシーンがある。

実際には、ワッツ自身も過去や未来から目を背けている一人なのだが、最終的には、未来に希望を見出し、今に後悔なく生きる強さを示してくれる。

冒頭でのニックとワッツは、未来への希望も持たないが、過去にしがみつくこともしない。さらには、今を生きようともせず、現在に立ち止まっているように描かれている。

しかし、そこにやってきた1つのキッカケで時間が動き出すことになる。

そのキッカケとなったのが、ニックの恋人となるメイだ。メイは「変化」「美しさ」「愛」「母性」の象徴なのだ。メイは、過去を捨てて未来に生きようともがき続け、大きな母性で他人の子供の命を救い、最後にはニックへの愛を持って死んでいく。唯一の女性らしい登場人物とも言える。

そんな過去のメイを苦しめていたのが、セント・ジョーだ。彼は悪人たちの親玉で、社会にはびこる「悪」の象徴だ。そんな彼のもとにいた汚職警官のブースが、現在のメイとニックを苦しめる。

ブースはセント・ジョーを裏切っていたことで、見せしめに火に焼かれてしまう。そうしてタダレた顔と体によって「醜さ」を象徴とする登場人物なる。

つまり、男は社会悪であり、醜く弱い存在として描かれている。しかし、女性は正義であり、美しく強い存在として描かれる。なんとも分かりやすい描き方がなされている。

そして、本作では「海(水)」が大きな役割を担っているが、海に沈む地球は、おそらく「再生」の象徴ではないかと思う。つまり、男尊女卑の世界を水で浄化して、新たな世界を生み出すということだ。

主人公たちが「現在・過去・未来」どこを選び、生きるのか? 常に選択を迫られる作品になっている。そのため、映画を観る私たち自身も同様に考えさせられる。

さらには、ニックとワッツは正反対の「幸せ」を手にするのだが、それが我々に対して「幸せとは、何か?」と大きな問いを与えてくれている。

その点において、スゴく考えさせてくれるストーリーだ。

なので、私は映画鑑賞後、家に返ってスグにノートを開いた。そして、今作の内容を書き出してまとめると同時に、自身の幸せについてもノートを取ることになった。

そこでできたのが1日の幸せな過ごし方だった。

つまり、私は「現在(いま)影響を与えられる事柄に集中すること」が幸せに生きることだという結論に至り、TODOを書き出したのだ。

これはスゴく役立った。翌日以降、自分が何をすべきなのか明確になったからだ。

話を映画に戻すと、本作では「男尊女卑の社会」と「弱くなった男」に対しての問題提起がなされる。つまり、「強すぎる父性」と「失われた父性」だ。そこに「規範を示す女性」と「強い女性」が現れることで、どちらもの役割を担うようになっている。

ここまで書いて気づいた。実は、この作品、男性を鼓舞しているのではないだろうかと。

「このままでいいのか?男たちよ」「もっと強くカッコいい姿を見せてくれよ」「一緒によりよい社会を作ろうではないか」という投げかけなのだとしたら、私たち男は恥ずかしい真似はしていられないだろう。

「いまこそ立ち上がれ!男たちよ!」

そう言いたかったのか。リサ・ジョイは。だとしたら、見事に思惑にハマった私だった。