現在(2021年4月10日~6月27日)福岡市博物館で開催されている『ミイラ「永遠の命」を求めて』に行ってきました。日本も含め世界各地のミイラが42体も展示されています。
正直、ミイラに関する知識はゼロ。そして、学生時代、一番努力の成果が出やすい「暗記もの」をサボっていたので、歴史の知識もゼロ。そんな中「楽しめるのだろうか?」と思いつつ参加しましたが、いい意味で裏切られました。
実際に、ミイラを見て、私が感じた大きな気づきは「マジックと同じだ!」ということでした。マジックとは「こうできたらいいな」という人間の理想や願い、想いがたくさん詰まっている芸能だと思っています。そして、ときには芸術的にもなると考えています。それがミイラと全く同じだと感じたのです。
なぜなら、ミイラの造り手は死後の世界があることを信じて、そこで死者が幸せに暮らせることを願ったからです。その強く大きな想いが、それぞれのミイラにあるのだと感じたのです。とくに、展示には子供のミイラも多くありました。あらゆる可能性を秘めた子供が、生まれて間もなく亡くなってしまう。そこで失われた可能性を、いま一度、拓くためにミイラにしたのだと感じられます。そこには悲しみを受容した親の包み込むような愛を感じたのです。
まさしく「想い」「願い」「理想」といった類のものが、そこにはありました。
また「肖像頭蓋骨」といわれるものには、抽象化の重要性と私のやるべきことに気づかせてもらいました。頭蓋骨に生前の印象を模様として刻んだものが「肖像頭蓋骨」です。頭蓋骨に描かれる絵は、その人の顔そのものではなく抽象的な模様がほとんどです。つまり、その人物像を抽象的概念をもって描写するのです。これは人間にしかできない素晴らしい表現だと衝撃を受けました。抽象的なものを信じたり、想像したりする能力が長けている人間だからこそできる表現です。
実際の人物像を言葉に表しても、細かな部分というのは伝わらないものです。しかし、それを模様や絵などの抽象的なものに置き換えることで、受け手がそれぞれに想像する余地を与え、細かな部分まで自身の思い描くように想像できるようになっているのです。
逆にいえば、具体的にすればするほど、それぞれが受ける印象によって違いが生まれてしまいますから、生前の彼(彼女)を愛する人たちのあいだで、肖像画に対しての文句が生まれないともかぎりません。
なので、この抽象的に人物を描写するというのは、とても素晴らしいと感じました。私も人物像を伝えるときは「具体的に観察して、抽象的に伝えよう」と考えを固めることができました。
しかし、私の得意分野は、このように「ミイラ」という抽象的なものを具体的にすることです。つまり、私のやるべきことは「具体化」だと思うに至りました。実際には、マジックというフィクションを演じる身ではあるのですが、ドキュメンタリーのほうが向いているのではないかと感じたのです。これは今までも、なんとなく感じていたことです。それが抽象的な「ミイラ」というものを具体化したことにより、顕在化したという不思議。
こうした大きな気づきを得られて、スゴく嬉しく感じています。
その他にも、現世とあの世をつなぐ手段が、模造品や装飾品、動物、生贄、儀式など、あらゆる道具によるところが面白いなと感じました。当時の人々は、何かを成すためには犠牲とスキル(道具)が必要なのだと理解していたのではないか、と私は考えます。
これは、商売と似ていると思います。富を得るためには、自身の時間を使ってスキルを身につけ、商品を作り販売する必要があります。あらゆる事象は等価交換のうえで成り立っており、あの世と現世の通行料も等価交換であったのだと思います。
いろいろと小難しく考えてきましたが、実際には、もっとシンプルに楽しめます。肖像頭蓋骨(アンナの頭骨)には「Anna」という名前とバラの絵が描かれたキレイなものがあったり、ミイラの入っていた棺桶(ベンジュの棺)には、細部まで丁寧に絵が描かれており、内側まで美しかったです。ちなみに、その棺桶には文字も書かれているのですが、文字には誤りが多いらしいです。当時の読み書きを学ぶ難しさも伝わってきますね。
始めは、まったくゼロの知識で行って楽しめるか不安でしたが、スゴく楽しむことができました。観ている途中から、頭に溢れてくる考えを吐き出したいとソワソワして、普通の人の倍くらいのスピードで観て回りましたね(笑)
ということで、すごくオススメできる展覧会でした!
P.S.福岡では今年の4月に開催予定だった「エジプト展」が、来年の3月に順延されているので、今日にもある人は、そちらもいいかも!