樺チャンネルの質問は、自分なりの答えを考えてから編集をしています。そのほうが楽しんで、編集ができるからです。先生と自分の考え方は、同じなのか、一緒なのか。はたまた、自分の予想は合っているのか、間違っているのか。
たとえば、今日の質問。「他人はよく見ている」と言う。だから、気にして生きるべきか。はたまた「他人は自分が思うほど気にしていない」とも言う。だから、テキトーに生きるべきか。
そういった問いでした。私なら「自分はどう生きたいのか?」と考えます。そして、もっと「能動的」で「自分軸」の考え方をします。
さて、そうして編集を進めると、先生の回答は「他人は見ているようで見ていないし、見ていないようで見ている」そして、ユダヤの考え方「1:2:7の法則」が当てはまて考えるとわかりやすいとのこと。
「同じ意見になるだろうなあ〜」なんて考えていたので、意外な回答で楽しめました。
1人は、自分のネガティブな部分ばかり気づいて、指摘してくる。2人は、ポジティブな部分を見ていて、評価してくれる。残りの7人は、なんとも思っていない。
そういった非常にシンプルな答えでした。それを聞いて「気にして生きる」か「テキトーに生きる」かの二択である必要がまったくないことにも気づきます。物事のあり方や原因を、過度に簡略化してしまうのは、ちょっと危険な感じがしますね。
そもそも「人間は、複雑なもの」その理解が「考えすぎ」を防いだり、ココロを軽くしてくれるのではないかと思いました。