死生観について「死後の世界はあるのか?」

日記

現在(2020年3月4日執筆)時点で
わたしは25歳です

年齢を重ねるごとに
死生観に違いが出てきました。

正直に話しますと
宗教というものには全く理解がなく
死後の世界についても存在しないと思っており
霊の存在も否定していました。

しかし、年齢を重ねるごとに
身近な人の死や愛犬の死などといった
経験を重ねるごとに

大好きだったあの人たちにもう一度会って
近況報告したら今の自分を褒めてくれるかな?

なんて、思う機会が増えてきました。

わたしは基本的に後悔がないように
人と接するようにしているので
ものすごく強い想いがあって

「もう一度会いたいんだ!!!」

という感じではなく
久しく会ってない友人にナチュラルに

「会いたいなあ〜」

と思うような感じです。

そのように考えだすとアンビバレントな心理が芽生えます。
死後の世界なんてないよ⇔死後の世界があるといいな
この2つが混在しているのに気づいたんですね。

わたしの大好きな歌手のRADWIMPS野田洋次郎さんが
「祈跡」という歌の中で

『死んだあとの世界ってのを僕は本当に信じたいよ
だって今日まで 幸せを知ることなく死んだあの人
いつかどこかで会えるの?天国で報われるの?
僕らはどこへ行くの?どこにいけばいいの?
笑うことなく喜びあうことなく消えた同士(とも)と再び出会う
天国ってとこでめぐり会う その時胸張ってこう話す』

他人への優しさと自分自身の不安が混在していて
そこに願いが込められている、そんな歌詞ですね。

わたしの感情とダブって、とても共感できるんですよね。

特に「その時胸張ってこう話す」という部分

「俺、こんなに頑張ったんだぞ」
「そういえば、こんなこともしたよ」
「すっげえ変わっただろ?成長したよな」

「見ててくれたのか?」
「お前がいなくて、寂しかったよ」
「お前がいないとさ、一緒にバカやってくれる奴がいなくて」
「褒めてくれる人もいないんだぜ(笑)」

そんな気持ちがどんどん溢れてきて
「もう一度会える場所があるなら…」
と願う気持ちは強くなりますよね。

とはいえ、これは願いであって
現実の問題とは別だと捉えていて分別をつけています。

わたしには理想とする男性像があって
それは海外ドラマ「The Mentalist」の主人公
「Patrick Jane」です。

彼は、死後の世界と交信した体験があるという同僚に断言します。

「人生はフットボールと同じ。
笛の音で全て終わる。それ以上はない」

つまり「死んでしまえば、そこで終わり」ということ。
悲しいですが、わたしもそう捉えています。

しかし、彼は母親を亡くした幼い男の子に、こうも話しています。

「僕もよく死んだ妻と話すよ。君もやってみるといい」

もちろん、それは頭の中の世界だと理解した上で言っているのですが
とても奥深く感じます。

死後の世界はないと悟っていながら
死後の世界があることを願う気持ちは持っている
その気持ちに整理をつけるために
妻が生きていたらこう言うだろうと想定して
自分の頭の中でだけ会話をするのです。

死後の世界と現実の世界の分別のつく人には
そういった方法で気持ちの整理をつけれることを教えるんですね。

とはいえ、なかなか分別がつかず
死後の世界を強く望む人には、それを強く否定します。

なぜなら、そういった感情を利用して
騙そうとする人が多く存在することを知っており
なおかつ、元霊能者(詐欺師)であったことで
その手口を熟知しているからです。

さらに言えば、そのせいで妻子を亡くしており
他人にお節介を焼かずにはいられないというのが彼の心情でしょう。

随分、脇道にそれましたが

「死後の世界があると嬉しいとは思うが
存在しないことを理解して分別をつけている」

というのが、私の結論です。

今あるものに愛情を注ぎ、感謝をして生きていこうと思います。
そして、死んでしまえば最後消えて無くなってしまうので
後悔ない人生を送ろうと思います。